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自分のやりたいことができるようになる 折れない心コーチング ーrescueJ’s blogー

元航空自衛隊のRESCUEパイロットが自分のやりたいこと、自分が何ができるかを発見できるようになる、折れない心(レジリエンス)について4つの原則を中心にお話ししてます。

折れない心 番外編 パイロットとお伊勢さん

今日は、航空自衛隊でのレスキュー任務での体験談をみなさんにお伝えしていきたいと思います。

 

 

航空自衛隊のレスキューパイロット

 

災害救助現場で活躍するヘリコプターを見たことがある人が多くいるかと思います。

特に、東日本大震災では救助現場が広範囲であったため、多数のヘリコプターが現場で救助任務を行なっていましたね。

私も、現場で飛んでいたパイロットの一人でした。

 

最大規模の救助活動

 

地震発生後、救助現場の前線基地についた時には見たこともない数の救助ヘリコプターが集結しており、降りてくるヘリコプターとこれから任務に向かうヘリコプターとが駐機場で入り乱れていました。

通常では、一つの救難部隊には3機程度のヘリコプターが配置されているのですが、その時には10機程度のヘリコプターが所狭しと全国から集結していました。

活動拠点が3箇所ありましたので、救助現場に投入されたヘリコプターはそれ以上あったはずです。記録を見れば正確なことがわかるんですが、退役したので情報を見ることはできません。



救助ヘリコプターは大災害のために存在している?



航空自衛隊のルーツ


実は、航空自衛隊の救助ヘリコプターが本来、何のために国費を投入して導入されているかを正確に知らない人が多いのです。

でも、この”正確”というのは語弊があるかもしれないので補足します。

航空自衛隊は戦後に生まれた新しい組織です。

そもそも、空軍自体が技術革新により生まれた航空機を主とした集団なので、陸軍や海軍などよりも歴史が浅いのは当たり前ですね。

そこで、戦後に防衛力を再整備することになった日本は、必然的にアメリカ軍の指導のもと、組織と兵器を揃えていきました。

そんな中、戦前は組織されていなかった常駐する特殊部隊が編成されたのです。

それが、脱出した戦闘機パイロットや不時着した航空機乗員を救助するための救難隊でした。

なぜ救難隊が必要なの?

何となくはわかっていると思いますが、説明させてください。

みなさん、想像して見てください。

 ・自動車に乗る時に、保険に入っていない状態だった・・・・

 ・交通事故に遭ってしまった時、救急車がなかったら・・・・

どうです、不安じゃないですか?

自分の母親が事故にあって、助からなかったら明日から新しいお母さんがどこからかやってくるのでしょうか?

そんなわけないですよね。

このことを、そのまま戦闘機パイロットに置き換えてみてください。

 ・敵と戦って被弾した時、脱出しても助けに来る人がいない状態・・・・

 ・海に脱出した時に、味方の軍艦が来る前に敵の軍艦がきて捕虜になるかも・・・

こんな状態だと、だれも戦闘機パイロットとして安心して任務につけないですよ!

そう、戦闘機パイロットのための保険みたいなものなんですね。

この保険が何で重要かというと、

失ったパイロットはすぐには補充できない

ということなんですね〜

航空自衛隊を自己都合で去っておきながらですが、一人前のパイロットを育てるには時間とお金がすごくかかるんですよ。

だから、そんな貴重な人材を使い捨てしないための保険的な存在です。

もちろん、救助が必要な時には必ず助けますよ!

他の機関の航空機が事故にあった時

もちろん、救助に行きます。

が、細かいことを言うと若干の手続き上の扱いが違うのですが・・・
お役所ですからね〜簡単には救助にいけないんです。

それで、自衛隊で救助部隊を専門で持っているのが航空自衛隊のみなんです。
海上自衛隊は救助専門部隊を廃止を決定。徐々に救助部隊を違う部隊に変更中)

陸上自衛隊は専門部隊はありません。

テクニカルな用語では、専任部隊と呼びます。

救助部隊を持たない陸上自衛隊ですが、何か事故が起きれば保有する航空機や車両などを使用して捜索・救助をするんですよ。

でも、見つからない・・・・・・
見つけても救助できない・・・・・

そんな時に、陸上自衛隊を助けるのが航空自衛隊の救難部隊なんです!!

で、私も実際に救助に行ったことがあります。

ようやく題名のお話に近づいてきました。



救助任務達成率100パーセントの実績

ここで振り返ると、私が機長として飛んでいた時に捜索救助の任務では100パーセント任務達成をしていました。

これは、自分の腕がすごいとかではなく、ある意味

運です!

でも、運がいいんですよ、私。

正直、捜索して発見しても、すでに意識不明状態であったりすることが多いのが救助現場です。

そんな中、私は元気なうちに救助しかしたことがないんです。

ある占い師さんに言われたのが、
「母親の愛情をたくさんもらって育てられたので、母親からもらった運気が半端なく強いですよ。仮に、あなたの乗っているヘリコプターが墜落しても、あなたは助かります。」
とまで言わせしめた、この強運です。

今だから余計に、そう振り返ることができます。

お母さん、立派に育ててくれてありがとうございます。

 

最強の運気を手にした結果

そんな私でしたが、1等空尉の機長だった時の話です。

やる気と負けん気だけで、大先輩に食ってかかっていたこの時期に、陸上自衛隊明野飛行場に所属する、ヘリコプターが行方不明になったと言う情報が入ってきました。

そのヘリがこれです。

f:id:rescueJ:20170220223258j:plain

 

浜松救難隊の出番

行方不明現場に一番近い場所にあったのが、当時私が所属していた浜松救難隊でした。

情報が入った時のことを今でも覚えていますが、驚くほど落ち着いていました。

と言うのも、情報だけは行って出動しないことの方が多かったので、とりあえず準備だけしようと思っていたんですね。

一つ下の後輩と話して、うちらで行こうか?と勝手に任務アサインボードに自分達の名前を貼り付けて、航空機の準備と自分達の装具の準備を始めました。

行方不明現場が陸上部だと聞いたので、燃料を満載にしてくれと指示。
これは、過去の経験から遭難者の発見に時間がかかるので、より長い間捜索できるように配慮したものです。

準備をしている間に、先行して捜索機のMU-2Aが離陸し、その後自分達も離陸しました。



機長としては初任務

 

実は、航空機の乗員を探す任務を機長として飛ぶのは初めてでした!

飛んでから結構緊張したのを覚えています。

その緊張感を飛んでるクルーに伝わらないように、現場に向かうまでずーっと喋っていました。

そんな中、色々な情報が無線を通じて伝わってきました。

現場付近に向かう他の救難隊の情報、現場で飛行している陸上自衛隊の情報、先行して捜索し始めたMU-2Aからの情報。

色々な情報が飛び交っていましたが、まずは現場に間違いなく到着することに専念して、副操縦士の後輩にナビをしっかりやってもらいました。
(優秀な後輩でよかったです🙂)

新たな命令

当初は、無線通信が途絶したあたりを捜索するように指示されていたのですが、その現場まであと5分ほどのところを飛んでいた時に、新たな捜索エリアを指示する無線連絡を受けました。

この指示、実は命令なんです。

訓練では、自分の勝手な判断でその指示を逸脱してはいけないんですよね。

機長への昇格訓練では、よく大先輩にこのことで怒られていました。

なので、本当はその指示を受けたらすぐに従う、または自分達はこうしたい!と言うお伺いを立てて許可をもらわないといけないんです。

それが、自衛隊の組織の在り方なんですね。

 

何かの力が・・・

命令を受けて、後輩に新たな場所を確認させたら左旋回をして南に行かなくてはいけない場所でした。

 

なので、レフトターン と言いつつ操縦桿を左に倒したのですが・・・・

いや待て、一度行方不明ポイントに行ってから向かおう、と思って右旋回して元の目的地に向かいました。

行方不明ポイントまでは5kmほどだったので、あと数分。

後で、指示に従わなかったとか何とか言われても言い訳できる距離感だと判断しました。

そして、行方不明ポイントに到着。

自分は右側の席だったので、見えやすいように右旋回を開始しました。

 

何か白いものを振っている人がいます

右側の捜索席に座っていた、救難員(私が一番信頼している人)がそんなことを言ったんです。

えっ?

そんなにすぐに見つかるわけないよね〜、って思い、一応確認しようか〜と言いながら目視できる高度まで降りて行きました。

その時思っていたのは、
「こんな山奥で飛行機が珍しくて旗でも振っているのかな?」
でした。

そんなことを思っていたところ、先ほどの救難員が、
「あれ、迷彩じゃないですか?」
と言い始めたので、まさか!?と思い始めました。(ここまで30秒ほどのやりとり)

さらに確認するため旋回をしていると、
「間違いないです、陸上自衛官です」
と救難員が言ったのと同時に、私も目視で確認しました。

間違いない、陸上自衛官

でも、墜落した(かもしれない)ヘリコプターがどこにもない?

そんなことを考えながら、救出プランをその場で考え指示していきます。

その後の救助は・・・・・

この話は、また後日!



救助終了後にわかった驚愕の事実!!

いきなり時間を飛ばして、救助後に飛んだクルーと反省会をしました。

その時、私は個人的に携帯型のGPS(同期生のパイロットが商社経由で発注してくれていたもの)を携行していたので、正確な発見位置を知るために、飛行経路データーをパソコンにダウンロードし地図上に表示させました。
(今では個人の機器を職場に持ち込めないのですが、当時はそこまで厳しくなかった)

正確な救出場所は、そのデーターから読み取ることができましたが、よくよく見ると・・・

あっ!伊勢神宮の真上を飛んじゃっていた・・・

規則とか法律で飛んではいけないとは定められていないのですが、多くのパイロットが配慮している場所です。

ヤッチマッター、と思ったのですがよくよく見ると、

お伊勢さんの上を飛行したのちに、あの新たな命令を受領していたんです。

なぜ、それがわかるかというと、飛行航跡が伊勢さんを通過したのち、一度左に曲がった後に、再度右に旋回して元の経路に戻っていたからなんです!!

これを見て、

神様が導いてくれたんだ

と思いました。というより、確信しました。

あの時、何気なく思ったことは、神様の思し召し。

でも、その偶然は必然だったと思います。

一応確認しようと思った行方不明ポイントでしたが、その時に一緒に飛んでいたクルーが前向きに行動していたので、この結果に結びついたのだと思います。

機長として一応確認したい、という考えに対して

後輩は、最後まで地図を確認しながら正確にナビゲートしてくれた。
救難員は、どこで遭難したかもわからないので常に捜索をしてくれていた。

この2人の前向きな行動がなければ、発見できていなかったです。

でも、やはり一番大きかったのは、一度命令に従い旋回したのを思い直した、あの感覚。

これは、誰にも信じてもらえないかもしれませんが、神がかっていたんですよ。

陸上部の捜索訓練をやる時にさえ、捜索開始してすぐに発見することなんてないですから。

それが、初めての任務で達成できたんです。

神がかってました。

あの時のみなの行動が、全て一つのゴールに向かって動いていました。

 

日本の力

誕生日

最近、自己紹介で自分の誕生日の話をよくします。


建国記念日

それが、私の誕生日です。

そして続けて質問するんです。

日本は、建国何年ですか知っていますか?


紀元前660年

これは、救難部隊で親友だったフライトエンジニアがよく言っていたのですが、

皇紀2677年

これが、日本の建国以来、脈々と気づいていきた歴史なんですね。

それは、ご先祖様の力はすごいですよ。

その辺の国とは比べ物にならない、そんな国が私たちの日本。

そんな私たちの国「日本」を子供達やその子孫のために守っていく。

そのために、私は国防ではない、新たな道を進み始めました。


レジリエンス

折れない心を持つ、その手法である前向きな思考や捉え方。

この能力があれば、皆が幸せをより感じながら生きられる。

そして、戦争や大災害が起きた時にも、その能力を活かして困難、逆境を乗り越え、さらに成長する。

そんな国、日本のために自分ができることは小さきことかもしれません。

Baby-step 一段づつ階段を登るように、前進していこうと思います。

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